カーテンコール!

written by とわ様

「まだ幕を下ろさないで!」
・Evolのマイナス化という捏造設定。
・デート「旧友」の内容に一部触れています。小説を読む分には未読でも大丈夫だと思います。





インターホンが鳴ったのは、日が傾いてきて明日の起床時間に気が重くなってくる、そんな日曜日の夕方のことだった。

最近通販を使った覚えはないし、誰かを家に読んだ覚えもない。こんな時間に訪ねてくるなんていったい誰だろう。

少し不審に思いつつモニターを見ると、誰かが立っている姿が映っている。映ってはいるが、それが誰なのかはよく分からなかった。姿が見切れているわけでも、カメラが壊れているわけでもないのにだ。見えてはいるのに、目を擦ってもそれがどんな人なのか分からない。

……丸一日部屋から出なかったから、頭が回ってないのかな。

首をかしげながら、じっとモニターに目を凝らす。見えているのによく見えないその人物は、どこか困った顔をしているように見えた。……宅配便ではなさそうだ。

ピンポーン。再びインターホンが鳴る。

何か急ぎの用事なのかも。出ても大丈夫かな?

いくらか薄れてしまった警戒心でじっと見つめていた人影は、3度目を鳴らすことなく諦めたように背を向けようとした。

あっ、帰っちゃう!

そう思うと体が勝手に急ぎ足で玄関へ向かっていた。

U字型のドアガードを外し、鍵を開ける。

扉の向こうに立っていたのは、困った顔に微かな安堵を浮かべた、人気絶頂の売れっ子アイドルだった。

どうしてインターホンを見た時に気付かなかったのだろう。こんなに目立つ人物はそういないし、私が彼を誰かと見間違えるわけがないのに。

そう、見間違えるわけがないのだ。

今の彼は、変装どころか目立つ金髪も目も隠していない。

目の前に立つ彼の姿に、思わず呆気にとられて言葉を失くす。





今日も仕事じゃなかった?

変装もせずにどうしたの?

何かあった?





喉元まで出かかった疑問の数々は、エレベーターから誰かが降りてくる気配にひとまず飲み込み、慌てて彼を部屋に引き入れた。





「突然ごめんね。連絡もせずに押しかけてきちゃって」





俯き気味にそう呟いた彼に、「とりあえず上がって」と声をかける。

誰にも会う予定のなかった今の私の格好はラフな部屋着で、部屋はほど良く……ほどほどに散らかっているけれど。ちらりと玄関から部屋をのぞいて、続けて黙って俯いたままの彼を見る。仕方がない。背に腹は変えられない。





「ここだと寒いでしょ?ちょっと散らかってるけど、急に訪ねてきたのはあなたなんだから目をつぶってよね」





あえて明るく言ってみた言葉に返事はなく、から回った私の声は静かな玄関に空しく響いて消えて行った。

いつもなら私の家に来るなり「お邪魔しま~す!」と靴を脱ぎ捨てて、我が物顔でリビングへ侵入して行くのに。本当にどうしちゃったんだろう。





「ほら、行こう。風邪ひいちゃうよ、キラ」





いたわるように肩をさすってそう呼びかけると同時に、彼の両腕が背中に回って、肩にずしりと重みが乗せられた。首筋に押し当てられた彼のすっと通った鼻筋や滑らかな頬の感触に、思わずどきりと心臓が跳ねる。でも、どうやらときめいている場合ではなさそうだ。

ぎゅうっと強く抱きしめられた腕の中でもぞもぞと身じろぎ、どうにか自由になった手を伸ばして彼の背を撫でる。





「どうしたの、キラ?」

「……きみに会いたかったんだ」





それはこの距離でないと聞えないほど、小さくて微かな囁きだった。

















「Evolがマイナス化してるんだって」





重い口を開いてキラが話し始めたのは、初めて聞くおとぎばなしのような不思議な話だった。

要約すると、普段は人々の関心を惹きつけ魅了する外向きの性質の彼のEvolが、何かのはずみで内向きのマイナス方向に切り替わり、彼の存在をまるで隠すかのように覆ってしまっているらしい。そのせいで普段キラをよく知る人達でさえも、キラの姿を認識しにくくなってしまっているのだという。

だからさっきインターホンを見た時、キラだと気付けなかったのだろう。こんなに目立つ姿が誰だか分からなかったのが、休みでボケてしまったせいじゃなくて良かった。沈んだ面持ちで淡々と話すキラを前に、どこか現実離れした気持ちでそんなことを考えていた。





「『キラ』が忘れられたわけじゃないんだけど、今のオレは『キラ』には見えないらしいんだ。通行人Aってところかな。……今日も仕事があったのに、現場に行ったらシンさんにまで新人スタッフだと思われちゃった」

「それで、どうしたの?」

「理由はともかく、何も言わずにサボるのは悪いからさ。シンさんにひたすら話しかけ続けたら、何とかオレがキラだって気付いてくれたから、事情を説明して後は任せてきた」





シンさんの心労が偲ばれる。

真っ先にそう思ってしまうのは職業柄だ。

私だったら、シンさんだって、こんな状態のキラをスポットライトの下に立たせようとは思わないだろう。こうして話してくれながらも項垂れているキラの表情は、とても責める気にはなれないものだった。





「病院……に行っても、どうにかなるものじゃないよね」

「病院なら行ったよ」





キラの口から出た病院の名前には聞き覚えがあった。彼に「ちょっとごめんね」とひとこと断りを入れて、充電器に刺しっぱなしだったスマホの連絡先からいつかの女医の名前を探し出し、迷わずコールボタンを押す。





『久しぶりね』





きっちり2コール目で聞えた生真面目な声に、「今話を聞いていいですか?」と縋るような気持ちで答えながら、そっと立ち上がり部屋から出る。





『キラのことでしょう?』

「えっ、どうしてそれを……?」

『あなたが連絡してくる理由が他に思いつかなかったから』

「ということは、あなたがキラを診たんですか?」

『ええ』





日曜日にまで働いているとは大変な仕事だ。鏡に映った自分の寝癖を少し居たたまれない気分で直していて、ハッと我に返る。しまった、どうやってキラの診断を聞き出すか考えていなかった。個人情報、しかも芸能人でEvolverというかなり難しい立場の患者の情報なんて、よほどの事情がない限り教えてはくれないだろう。

繋がったままの電話を握りしめた私の耳に沈黙が重くのしかかる。ごくりと固唾を飲んだその時、電話の向こうで笑う気配がした。





『個人情報だから教えられない……と言いたいところだけれど、今の『キラ』を知っているということは本人から聞いたんでしょうね。彼の症状について聞きたいんでしょう?』

「そ、そうです!」

『珍しい症例だから断言は出来ないけれど、1週間程で治ると思うわ。Evolは生体活動と強く結びついていて、その乱れは体調や精神面の影響が大きいから。ゆっくり休めば自然と治るはずよ』

「……過労が原因ってことですか?」

『おそらく、だけどね』





確かに最近のキラは映画の撮影にライブにと大きな仕事が続いており、しばらく連絡が取れないかと思ったら突然「何もせずに丸一日眠りたいよ~」と泣き顔のスタンプを添えて連絡してくるほど忙しそうだった。

彼女の話を聞く限り、Evolのマイナス化に関してはそれほど心配しなくてもいいらしい。――となると、気がかりなのは。

通話を終えて部屋で待つキラの元へと戻る。

こちらに背を向ける体勢で背中を丸めてあぐらをかく彼の後姿は、彼が以前プレゼントしてくれたクマのぬいぐるみと少し似ていた。

にわかには信じられない。私にはいつもと同じキラに見えるのに。

そのいつもと変わらないキラが、とても落ち込んでいるように見える。





「……ねえキラ、少し外に出てみない?」













すっかり日が沈み青に黒色を混ぜ込んだような街の中、煌々と明るいままのコンビニでコーヒーと、ついでにレジの隣に置いてあった肉まんを買う。

店員さんに袋に入れてもらっていると、何も手に取らずに付いて来ていたキラは「お腹すいたの?」とこの日初めて微かに笑った。

キラの言う通りだった。

このコンビニの向かいのビルには、炭酸飲料を手にしたキラの巨大な広告がある。半年前には、このコンビニの全国の店舗で店内アナウンスをしていた。今すれ違った女の子が履いていたスニーカーは、キラがスポーツメーカーとコラボした際、販売開始直後に予約サイトがサーバーダウンして5分で完売した、今では10倍の値段でも買えないプレミア付きの限定商品。

これだけの影響力と存在感のあるキラが、何の変装もせず、誰にも気付かれることなく、私の隣でガードレールに腰かけている。





「なんで私のところに来てくれたの?」

「……どうしたらいいか分からなくて、誰かオレに気付いてくれる人は居ないかって考えてたんだ。そうしたら、気付いたらキミの家の前に居た」





桜が揺れる車窓から覗いた風景、厳かな神社の澄んだ空気、彼の秘密の場所と旧い友達。

あの日聞かせてもらった過ぎし日のキラの姿が、目の前の彼と重なって見える。

「休めばじきに良くなるそうだから、そんなに気にしなくても大丈夫だよ」なんて、たとえそれが事実だろうと、今の彼に言えるはずがなかった。

それにしても、どうして私にはキラがキラだと分かるのだろう。さっき気付かずに通り過ぎて行ったファンの子だって、キラが好きだということは私と同じはずなのに。ぼーっとしたまま口をつけたコーヒーはまだ口をつけるには熱すぎて、少し舌をやけどしてしまった。

袋から取り出して、半分に割った肉まんの大きい方を手渡す。「もうすっかり春だし、これが食べ納めかも」そう言ってキラはまた少し笑ってくれた。

街頭の桜はまだ木の枝の方が目につく5分咲きだ。来週辺りには満開の時期を迎えるだろう。キラは黙ったまま桜なのか道行く人なのか、それよりももっと遠いところなのかをぼんやりと眺めている。

路上に散った花弁を眺めながら肉まんをひと口かじった、その時。

私はあることをハッと閃いた。





「キラ、笑って!」





肩を寄せて頬を寄せて、スマホのカメラを私達に向ける。

目の前の小さな画面に映った自分の姿を目にしたキラは、ほとんど反射のように笑顔を浮かべた。

さすが見られることのプロ。ただの自撮りなのに今すぐ広告に使えそうな写真だ。普段のキラがこの写真をSNSに投稿すれば、冬が終わって商品が入れ替わるよりも一足早く、店先から肉まんが消え去るだろう。





「な、何?突然どうしたの、ポテチ姫?」

「面白い企画を思いついたの!」

「ええっ、今?!」

「今!聞きたい?!」





困惑で見開かれた彼の瞳の中には、楽し気な私の顔が映っていた。









”私の日常の中のアイドル”









今回の企画のテーマは、街中で過ごす完全に自然体のキラを写す。ただそれだけ、それが全ての、キラファンによるキラファンのための密着型企画だ。

今の彼は周囲からは通行人Aにしか見えないのだから、警備員やスタッフを集めて規制を張る必要もない。彼のファンの人達に「自分達の何気ない日常の中で、あのキラも同じように暮らしている」という雰囲気を感じてもらうこの企画をするには、またとないチャンスだ。

あの晩、企画が思いついてすぐに電話をかけたシンさんには「あなたがキラに付いて居てくれる方が安心だから」と、初対面の時が嘘のように快諾してもらった。

全然根に持ってはいない。

全然。本当だ。





「ということで改めまして。よろしくね、キラ」

「こちらこそ。こういう密着取材は初めてかも。楽しみだよ」





一晩明けたキラの表情は、まだ少し浮かないままだった。

……ゆっくり休むには家にいるのが一番かもしれないけど、こういう時は外に出て気分転換した方がいいからね。正直この企画は彼を外へ連れ出すための口実だったが、キラの密着取材なんて面白くならないはずがない。昨晩一日で纏めた今日のスケジュールを発表しながら、彼を楽しませる側のはずの私の胸は、朝からずっとわくわくと浮足立っていた。

キラのお忍び自体は、実はそれほど珍しいことではない。

ただ、人との距離が近すぎたりして変装が通用しない、狭くて人が密集するような場所は、さすがに大胆で好奇心旺盛でマネージャー泣かせのアイドル様も、騒ぎになるのを配慮してあまり立ち入らないよう気を付けている様子だった。……たまに目撃情報が上がって騒ぎになってたけどね。

ともかく、今回の撮影地はそういった場所が中心だ。

SNSで話題のカウンター席しかない新感覚スイーツ、若い年代が御用達の安くて美味しい居酒屋チェーン店、キラとは何の縁もゆかりもないのに聖地扱いされてしまっている、キラに似ていると噂の石像がある商店街。それらを電車を乗り継いだり、バスに乗ったり、思わぬ発見を探すついでに頑張って歩いてみたりしながら、一つずつ巡って行く。

お金がかかった派手な場所ではない。キラだって番組のロケで行こうと思えば行けるだろう。

でも、この企画は日常の中にいるキラを撮ることに価値がある。

最初こそ気が進まない……というより、考えに耽ってそれどころではない様子だったキラも、一日目が終わる頃には「次はどこに行く?オレ、行ってみたい場所があるんだけど」と目を輝かせて、その日の晩には追いきれないほど大量のURLを送りつけてきた。

レトロゲームが豊富に揃っているとマニアの間で話題のゲームセンターで、2位と大差をつけた新記録を残すキラ。駅前の有名なシンボルのそばで人混みに紛れて待ち合わせをするキラ。駐車場で日光浴する猫に話しかけて威嚇されるキラ。一応取材であるということを忘れてしまうくらい楽し気で目まぐるしく表情の変わる彼は、街の中でも画面の中でも、不思議なほどの存在感で目を惹いた。なのに、今の彼はわっと声をあげて騒いだとしても、せいぜい驚いた顔で一瞬視線を向けられるだけだ。

街の景色に溶け込んだキラは、いつもの外に出るや否やファンに囲まれて身動きが取れなくなる光景が嘘のように、ただの通行人Aで、ただの一人の「キラ」だった。









桜が満開になった歴史ある観光スポットは、今年も相変わらずカップルで賑わっていた。

数歩先を歩く彼にカメラを向けると、一瞬ちらりと視線を向けたキラは、カメラの存在など気にも留めていないかのように横顔を向けた。

咲いたそばから散っていく花弁はすっかり地面に降り積もっていて、石畳の道を薄桃色に染めている。そんな桜を照らすイルミネーションの光を集めた彼の髪は、人工的に作られた薄明りの中でも昼間と変わらずきらめいていた。

今日でちょうど1週間。

彼のEvolは依然として彼を覆い隠したままだった。





「ポテチ姫、写真撮ろうよ」

「もうたくさん撮ってるよ?」

「も~、違うでしょ。オレと!キミと!さっきからオレのこと撮ってばっかりじゃん!」

「だってそういう企画なんだし」

「ピピーッ、警告!今主演の我儘を聞いてくれないなら、次からカメラが向けられてるときは毎回変顔するよ!」





キラの顔は大真面目だった。大変だ、このままだとスーパーアイドルの変顔企画に路線変更する羽目になってしまう。

「主演様の我儘なら仕方ないね」と笑いながら、キラが持ってくれている鞄から、私の自撮り棒を引っ張り出す。

「結構重いんだけど、何が入ってるの?」と怪訝そうな彼に「撮影道具とかだよ」と適当に返事をして、ぐっと彼との距離を縮めた。どれだけ引っ付いて笑い合っても、この場所で私達を気に留める人はほとんどいない。タイミングを見計らったかのように風が強くなる中、最大限に伸ばした自撮り棒で宙に浮いたスマホに向かって二人でピースする。ぐらりと風に煽られて危うく落としかけたスマホには、画面いっぱいの満開の夜桜とひどく楽し気な私達が写っていた。

「私の日常の中のアイドル」というキラファンのための企画なのに、ただの私とキラの日常の写真も負けないくらい増えてしまった。今頃キラや私の分まで忙しくしているであろう、シンさんやアンナさん達がこれを見たら怒るだろうな。

……一応これも仕事ではあるんだけどね!誰に言うでもなく心の中で言い訳しながら、ふと顔を上げると、目を離した隙にキラの両手にはソフトクリームが。





「ちょっと休憩しようよ」

「……さっき食べたばかりじゃない?」

「主演命令だよ!」

「やったー!美味しそう!ありがとう、主演様!」





期間限定の桜味のソフトクリームは、そう言われてみれば確かに桜の味がするような、淡く優しい味がした。通りの脇にある柵にもたれながら、一日歩き回って疲れたのかぼんやりとしているキラの横顔を盗み見る。

案外無理している様子もなく元気そうなのは嬉しいけれど、彼のEvolが治る兆しもないまま一週間が経ってしまった。心配しなくても自然に治るものだとは聞いているけれど、そろそろもう一度診てもらった方がいいだろう。この後帰ったら女医さんに連絡して、それからシンさんにも連絡して。大量に撮った写真も纏めなくてはいけない。

いつの間にか垂れてきたソフトクリームで手が濡れた感触にハッとして、急いで崩壊寸前の桜味を食べ進める。

その隣でぱくりと最後のひと口を食べ終えたキラが、不意にぽつりと呟いた。





「……どうして今の状態のオレがキラだって、キミには分かったんだろう」

「今更な質問じゃない?」

「これでもオレ、ずっと理由を考えてたんだよ。ポテチ姫には分かるの?」

「通行人Aの好きなものや苦手なことに詳しい人が居てもおかしくないでしょ?」





言っている意味が分からないと言いたげに、キラがぱちぱちと碧い瞳を瞬かせる。

あの日は私にもどうしてなのか分からなかった。でも、考えてみればとても簡単な話だ。

Evolで隠れていてすぐには誰なのか分からなくても、近付けば気付けるくらい彼は私にとって特別な存在だった。「通行人A」という目立たないことを役割にあてられた人物の顔がはっきりと見えてしまうくらい、通行人Aという人物に詳しかった。それが私にとってのキラだった。きっとただそれだけなのだろう。





「あなたがどんな役を演じていても、私はすぐにあなただって気付ける自信があるよ」





丸く見開かれたキラの瞳の中に私が映っている。16歳の彼のそばには居られなかったけれど、今の彼のそばには私がいる。他でもない彼が、そんな大切な場所に私を置いてくれていることが心から嬉しかった。

突然悲鳴のような甲高い叫び声が耳をつんざいた。

ハッと身構えたキラが庇うように立ち上がった背に隠れながら、ソフトクリームの最後のひと口をごくりと飲み込む。テロ?Evol犯罪?殺人?今度は何の事件だ?いい加減ちょっと慣れてきてしまった自分に、少しばかり頭痛がする。

そんな私をよそに「あれ?」とキラが動揺したように呟いたのと、どんどん大きくなっていく叫び声の正体が分かったのは、ほとんど同時だった。





「見て!あんなところにキラがいる!」

「本物?!本当に本物のキラなの?!」

「キラ!私あなたの大ファンなの!サインして!!」





歓声が歓声を呼んで、あっという間に周囲の視線は桜そっちのけでキラのものになっていた。これはまずい。非常にまずい!猛然と迫りくる集団にもぽかんとしたままのキラの手を取って、全力で走り出す。数拍遅れてようやく状況を飲み込んだらしい彼は、さっきからずっと持ってくれている私の鞄をしっかりと肩にかけ直すと、一歩前に出て私の手を引くように走り出した。そうだ、鞄!それがあった!





「キラ!鞄を開けて!」

「えっ?」





言われるがままにキラが鞄のチャックを開ける。その隙間から手を入れて、指先に触れた薄くて硬い感触のものを引っ張り出し、迷わず彼の頭に被せる。すっぽりと金髪を覆い隠した黒のキャップは、ずっと折りたたんだ状態で入れていたせいで少し皺になっていた。まあ今は暗いし、これくらいなら目立たないだろう。

続けてマスク、薄手のジャケット。次々と手渡すそれを圧倒されたように身に着けていくと、お忍びモードのアイドル様の完成だ。

いつキラのEvolが元に戻ってもいいようにと、この一週間持ち歩いていた……たいてい鞄を持ってくれていたのはキラだけど、ともかく。その変装道具が最後の最後に役に立った。誇らしくて自分で自分を褒めてあげたい気分だ。

にも関わらず、「だから毎回こんなに大きな鞄持ってきてたの?!」と走りながらゲラゲラと笑い出すキラに、「そんなに大声出したら意味がないでしょ!」と怒りながら、私までおかしくなって一緒に笑ってしまう。





「キラ、元気になった?」

「もうバッチリ!あと100年は歌えるよ!」





彼らしい大袈裟な言葉に笑いながら、力強く私の手を引く眩しいくらいの彼なら本当に叶えてしまうんじゃないか、なんて。満開の桜と大きな歓声に包まれながら、彼と同じ方向に走っている私は、いつか彼が歌っていた歌詞によく似たことを考えていた。

キラくんお誕生日おめでとう!今年はちゃんとお祝いに参加出来て良かった! これからも君のポテチ姫でいさせてください!! どうか幸せになっておくれ~~大好きだよ~~!!!