春驟雨
ネタバレを含む内容はないかと思います。
不意に見上げた空にはコットンキャンディのような雲がふんわりと浮かんでいた。私はそれらを見ながら誰に言うまでもなく呟く。
「この空を独占するのはなんか勿体ないような気がする……」
よし、と思い立った私は、スマホをバッグから取り出して中空に向かってシャッター音を思い切って切った。
そして、すぐさまLIMEを立ち上げて彼との会話画面に送信しようとしてすぐ手が止まる
そういえば、3日ほど前から新曲MVの撮影が始まると言っていたのを思い出し、
「邪魔したら悪いかな」
とひとりごちるとSNSへとその写真を投稿したのだった。
あんなに晴れ渡っていた空は帰社した直後、嘘のように暗い雲で覆われて一気に土砂降りに見舞われる事態となった。
「社長、お疲れ様です」
危うく難を逃れた私を待っていたのはアンナさんだった。
「ただいま。危なかったよ、あと一分でも遅かったらびしょ濡れになるところだったかも」
「不幸中の幸いでしたね……」
彼女はそう言いながら窓の向こうを見遣る。透明な板に容赦なく叩き付けられる無数の雨粒。水滴が消えたと思った刹那、すぐに新たに形成されていった。
「ただ、この雨止むかな」
私も溜め息をつきながらアンナさんにならって窓の方へと目を向けた。
どうでしょうね、と彼女は答えると、自分の仕事へと戻っていく。そこでふと時刻が気になってスマホのロックを解除して確認しようとすると、LIMEの通知が来ていることに気付いた。
誰からだろうと開くと、目に飛び込んできたのは『ひどいよポテチ姫』の文字。
彼は休憩でも取っているのだろうか。私が慌ててトーク画面を開くと、泣いている犬の絵文字に続いて怒っているウサギの絵文字が目に飛び込んできた。
『一体どうしたの?』と返信すると、間を置かずに『どうしてオレ以外にも見せちゃうの』と返ってくる。
もしかしてと思い、更に文章を綴った。
「キラ、新しいPV撮るって言ってたでしょ?集中して欲しいな、ってそう思っただけ」
すると今度は、文字ではなくスマホの着信音が鳴り響いた。慌てて通話ボタンをタップするとキラの必死そうな声が聞こえた。
「もう、今度からは忙しいとか気にしないでいいから、キミと楽しいことを共有させて?」
外の天気と相俟って、彼の存在は雨さえも吹き飛ばしてくれるような、そんな力がある。
「うん、わかった。でも、あまり無理しないでね」
「大丈夫、撮影は順調に進んでいるから」
そこで彼は、あ、と小さく叫ぶと、
「ねえポテチ姫、今日は何時に終わる?」
「今日は取材してきた素材のまとめだけ終わらせるつもりだからそんなには遅くならないと思う」
「じゃあ、キミのこと迎えにいくよ」
「え、でもキラこそ撮影まだ終わってないんでしょ?」
「順調だって言ったよね。今日の分はスケジュール通り行けば余裕だよ」
最近お互いにそれなりに多忙を極めていたせいもあって、久々に顔を見れる嬉しさの方が結局勝ってしまう。
私は緩む頬をみんなに見られないように、パソコンへと向き合ったのだった。
迂闊だった。素材を見直していたら思いの外時間が掛かってしまい、私は急いで帰り支度をする羽目になってしまった。バッグを掴み、身支度もちゃんとできずに会社を後にする。
ビルのエントランスを出ると、キラは既に未だに止まぬ雨の中外で待っていてくれた。
傘を差して眼鏡をかけた姿でも、そこはかとなく漂うオーラはまさに天性のものだ。
「ごめんね、遅くなって」
私の声に気付いた彼は、全然嫌な素振りも見せず、あまつさえ笑顔を見せて、
「大丈夫だよ、オレも来たばかりだし」
そう眼鏡の奥の透き通るブルーの双眸を細める。だが、私はすぐに分かってしまった。傘から垂れる雨粒が彼の肩をしとどに濡らしていたからだ。
そこだけ集中するということは、明らかに滞在時間もそれなりだということだろう。
私は思わず彼の傍に寄り、肩にそっと手で触れると、
「もうキラってば、すぐバレる嘘つくんだから」
わざと大袈裟に頬を膨らませて見せると、
「ポテチ姫にはお見通しなんだね……勝てないなあ」
そう言いつつ、私の手の上にキラも更に大きな手のひらを重ね合わせてきた。
雨が降り続く夜といくこともあり、外界の気温は今の季節にしては少し寒いくらいだったが、互いの手はどこかしか熱を持っているかに思える。
すると、キラは二人の姿を隠すように傘を持ち替えて、私の手に触れていたもう片方の手に力を込めてそのまま更に引き寄せる。
「キラ?」
「ごめん、ちょっと色々限界かも……」
周囲には人の気配は皆無だが、ビルの間に溶け込むようにして壁側へと連れて来られた。
彼の形のよい唇がそっと触れると同時に、甘い感覚が内部へと侵入してくる。
私は久しぶりの感触と錯覚するくらいにはその行為に既に酔いしれ始めていた。
雨の匂いと混ざり合った香水はいつもとは少し違ってどこかしら官能的な雰囲気を醸し出している。
私はその空気から何故か逃げようとして腰を引くが、それよりも先にキラに強く絡め取られた。
「……っ」
思わず洩れた声に満足そうな笑みを浮べた彼は、
「我慢しないでもっと聞かせて――?」
「は、恥ずかしいよ……」
なんで……?と彼は懇願でもするかのように、私の唇の輪郭をそっとなぞる。その行為によって、私は更に全身が沸騰でもしそうな勢いだ。
「だめ?ポテチ姫の声こんなにも可愛くて色っぽいのに勿体無いよ」
「だって、まだここ外だ、よ……」
幾ら夜の雑踏に紛れているとはいえ、冷静に考えれば誰が通ってもおかしくない。ここはそんなオフィス街だ。
彼は瞳の奥に深い色を湛えると、
「だめだよ。オレのことだけ考えていて。ね?」
鮮やかな青の中に潜む濃い蒼は、私を恍惚とさせるには充分すぎる程だった。
さきほどまでの激しい嵐のような雨とはうって変わって、今はただ微かな音を立てるのみとなった霧雨が優しく降り注いでいた。
雨の匂いが大好きな民なので、香水と混ざり合ったらいいなという願望のもとに思いつきました。 キラ主初挑戦なので、どうか生温かく見守っていっただけると幸いです……! 初めまして、この度はこのような素敵な企画に参加できたことをとても嬉しく思っております。 キラくんお誕生日おめでとうございます!! 少しでも華を添えられることを願います……

